映画『ゴールデンカムイ』は見ましたか~?映画は大ヒットで終わり、Netfrixで映画の配信開始がされ、続編のドラマはWOWOWでもう少しで始まりますね!とっても楽しみです♡
ゴールデンカムイは、日露戦争終結直後の北海道を舞台に、元陸軍兵の青年である杉元佐一がアイヌの少女アシㇼパと共に、金塊のありかを探す旅に出る物語です。
主人公の杉元佐一は、日露戦争の激戦地であった「203高地」に派兵されととき、銃で撃たれようと銃剣で刺されようと怯むことなく奮戦し、「不死身の杉元」と呼ばれました。
映画でも迫力ある激戦が描かれたこの203高地。どのような戦いが繰り広げられたのか調べてみました。
実写映画の続きはWOWOWでのみ見れるよ!
1か月無料体験が11/17で終了してしまうので急げー!!
ゴールデンカムイは10/6(日)午後10:00配信開始だよ。
ゴールデンカムイと203高地 激戦を追う
日露戦争とは?
日露戦争は、1904年から1905年にかけて、日本とロシアの間で起こった戦争です。
日露戦争の発端は、両国がアジアでの勢力範囲を拡大しようとした結果、特に満洲と朝鮮半島の支配をめぐって対立したことにあります。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本とロシアはそれぞれアジアでの自国の影響力を増やそうとしていました。日本は近代化と西洋化を進めており、またロシアも同時期にシベリア鉄道の建設を進めるなどアジアへの進出を図っていました。
このような背景の中、双方は満洲と朝鮮半島で利害が衝突しました。日本は朝鮮半島の安定を自国の安全保障に直結する問題と捉えていました。
一方、ロシアはシベリア鉄道の南下路線を確保するために満洲を重視していました。1903年、日本はロシアに対して朝鮮半島の利権を日本に、満洲の利権をロシアに認める提案を行いました。
しかし、ロシアはこれを拒否しました。その結果、日本は1904年にロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まりました。この戦争は、日本が初めて西洋の大国と戦い、そして勝利を収めた戦争として歴史的に非常に重要です。
日本は海戦でロシアの艦隊を破壊し、また陸戦でもロシア軍を破っています。結果として、日本の国際的な地位は大いに向上しました。
203高地の激戦
203高地の戦いは、1904年に行われた旅順攻囲戦の一部であり、特に激しい戦闘が行われた場所です。
この高地は、旅順(現在の中国遼寧省大連市)の近くに位置しており、その地形が旅順港の制海権を握るうえで重要だったため、激しい戦闘が繰り広げられました。
旅順はロシアの重要な太平洋艦隊の基地であり、その制圧は日本にとって非常に重要でした。203高地は旅順港を見下ろす戦略的な位置にあり、その確保が旅順の制圧に必要でした。
日本軍は8月に旅順攻囲戦を開始し、その一環として203高地の奪取を試みました。しかし、203高地の奪取は困難を極めました。
高地は険しい地形であり、ロシア軍によって堅固な防衛陣地が築かれていたからです。日本軍は何度も攻撃を試みますが、そのたびに大きな損害を被ります。
最終的に、日本軍は1904年12月5日に203高地を確保しました。これにより、日本軍は旅順港を完全に封鎖し、1905年1月にはロシア軍に旅順の降伏を迫ることができました。
この戦闘で日本は1万6938人もの死傷者を出しました。
203高地で使われた戦術 映画にもあった塹壕戦
203高地の戦いで日本軍が採用した塹壕戦は、日露戦争の特徴的な戦術の一つです。塹壕戦とは、敵の防衛線に対して塹壕(せんごう)と呼ばれる溝を掘り、その中に兵士を配置し、敵の攻撃から身を守りつつ前線を進める戦術です。
203高地の戦いでは、ロシア軍が高地に堅固な防衛陣地を築いており、日本軍はこれを突破するために塹壕戦を採用しました。日本軍は夜間に塹壕を掘り進め、その中からロシア軍の防衛線への攻撃を行いました。
この戦術は、直接敵陣地に突撃するよりも被害を抑えつつ前進することができる利点があります。塹壕戦は第一次世界大戦で広く用いられるようになり、その後の戦争でも様々な形で採用されています。
日露戦争について詳しく知りたい方には、司馬遼太郎の『坂の上の雲』が読みやすくおすすめです。
ゴールデンカムイ 203高地での第一師団と第七師団の活躍は?
杉元佐一が所属していた第一師団と、敵である鶴見たちが属していた第七師団は、どのような活躍をしたのでしょうか。
第一師団とは?
第一師団は、日露戦争の開始当初から前線で活動しました。この師団は東京を拠点としており、訓練や組織の整備がよく行われていたことから、高い戦闘力を持つ部隊として評価されていました。
特に、旅順攻囲戦や203高地の戦いではその活躍が顕著でした。旅順攻囲戦では、第一師団はロシア軍の激しい抵抗に直面しながらも、夜間攻撃や塹壕戦を駆使して前進しました。
203高地の戦いでは、第一師団は困難を乗り越えて高地を奪取し、旅順港の封鎖を可能にしました。
また、第一師団は、日露戦争全体を通じて、連携と組織力を活かした戦闘を展開しました。その結果、第一師団は多くの戦闘を勝利に導き、日本軍の勝利に大いに寄与しました。
しかし、第一師団の活躍は大きな犠牲を伴うものでした。それでも彼らは任務を果たし、日本の勝利に寄与しました。
第七師団とは?
第七師団は、日本陸軍の師団の一つで、北海道を拠点に編成されました。設立は1888年で、日露戦争時にはすでに存在していました。
日露戦争では、第七師団は主に陸戦に参加しました。特に、奉天会戦においては重要な役割を果たしました。
奉天会戦は、1905年に行われた日露戦争の最大規模の陸戦で、日本軍とロシア軍が満州の奉天(現在の中国・瀋陽)で激突しました。この戦闘では、第七師団は日本軍の主力部隊として活躍しました。
その後も、第七師団は日本陸軍の主要な部隊として、日中戦争や太平洋戦争など、様々な戦闘に参加しました。
第一師団と第七師団が共に戦ったことはある?
北海道の防衛は主に第七師団の任務でした。第一師団は東京に本部を置いていたため、北海道で活動することは稀でした。
ただし、日露戦争時には両師団とも満州に派遣されたため、日露戦争時の満州において、第一師団と第七師団には接点がありました。
- 共通の作戦参加:
- 両師団とも満州に派遣され、同じ戦線で戦いました。
- 奉天会戦:
- 1905年2月から3月にかけての奉天会戦では、両師団が参加しています。
- この大規模な戦闘で、日本軍の主力として共に戦いました。
- 指揮系統:
- 両師団は満州軍の一部として、同じ上級司令部の下で行動していました。
- 軍事会議:
- 戦略や戦術を話し合う軍事会議で、両師団の幹部が顔を合わせた可能性が高いです。
- 後方支援:
- 補給や医療支援などの後方支援活動でも、両師団間で協力があったと考えられます。
ただし、具体的な接触の詳細や頻度については、史料が限られているため、正確に把握するのは難しい部分があります。両師団が同じ戦場にいたことは確かですが、日常的な交流の度合いは不明です。
私の映画の感想
私は山﨑賢人が好きで、マンガもアニメも知らず、予備知識なしで見に行ってきました。山﨑賢人がかっこいいのはもちろん、すごくおもしろかったです。
原作との違いは分かりませんが、原作ファンからも評判はいいみたいですね。クマとの戦闘など、CGも違和感なく見れたし、笑えるところもあり、とてもよかったです。
それに、脱獄囚の白石はとてもいいキャラだったし、何といっても舘ひろしさん演じる土方歳三がかっこよかったですね。
私は新選組が大好きなので、土方さんが生きてて脱獄囚ってどうゆうこと!!と思いましたが、愛刀の和泉守兼定を取り返すところはしびれました~。
ハットとブーツもオシャレな土方さんらしくて、もし生きていたらあんな感じなんだろうなと思いました。永倉新八が出てきたのも嬉しかったです。
『マンガBANGブックス』でゴールデンカムイがめちゃくちゃお得に読めます↓↓↓
マンガBANGブックスで読む!
『ゴールデンカムイ』と203高地についてのまとめ
1. 日露戦争は1904-1905年に日本とロシアがアジアでの勢力拡大を巡って戦った歴史的に重要な戦争。
2. 203高地の戦いは旅順攻囲戦の一環として1904年に行われ、日本軍が苦戦の末に勝利した激戦。
3. 塹壕戦は203高地で日本軍が採用し、後の世界大戦にも影響を与えた戦術。
4. 第一師団と第七師団は日露戦争中、満州で接点を持ちながらそれぞれ重要な役割を果たした。
5. 映画「ゴールデンカムイ」はCGの質、笑いの要素、新選組キャラクターの登場などあり、高評価。
初期費用0円から始められるヲタク(オタク)専門婚活サービスは【ヲタ婚】