大人気漫画「キングダム」の世界観に魅了されている方も多いのではないでしょうか。キングダムの舞台がどこの国のいつの時代かを知ることで、物語をより深く楽しむことができます。
この記事では、キングダムの舞台となる春秋戦国時代から秦王朝にかけての時代背景や、主要な登場人物たちが生きた時代について詳しく解説します。キングダムの世界をより広い視点で捉えることができるよう、分かりやすくお伝えしていきます。
この記事から分かること
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キングダムはどこの国のいつの時代?結末は歴史上どうなったの?
人気漫画「キングダム」の舞台となっている春秋戦国時代。この時代は、中国の歴史の中でも特に激動の時期として知られています。では、具体的にいつ頃の時代なのでしょうか?
ここでは、キングダムファンの皆さんに向けて、春秋戦国時代の概要やキングダムの物語との関連性について詳しく解説していきます。
春秋戦国時代の概要と期間
春秋戦国時代は、紀元前770年から紀元前221年までの約550年間に及ぶ中国の分裂期を指します。この長い期間は、「春秋時代」と「戦国時代」の二つに分けられます。
春秋時代(紀元前770年〜紀元前403年)は、西周の滅亡により始まりました。この時期、周王室の権威が衰え、各地の有力諸侯が独立性を強めていきました。
一方、戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年)は、さらに諸侯間の争いが激化し、最終的に秦による中国統一まで続きました。
なぜ「春秋」「戦国」という名前がついたのでしょうか。「春秋」は、当時の歴史書「春秋」に由来します。また「戦国」は、まさにその名の通り、諸国が激しく戦った時代であることを表しています。
この時代は、中国の歴史上最も長い分裂期であり、政治的には混乱していましたが、文化や思想の面では大きな発展がありました。例えば、儒家や道家といった中国思想の基礎が形成されたのもこの時期です。
キングダムの物語が始まる時期
さて、「キングダム」の物語は、この春秋戦国時代のどの辺りから始まるのでしょうか?
(イメージ:青薔薇のしおりが画像作成)
キングダムの物語は、春秋戦国時代の末期、紀元前245年頃から始まります。これは、後の秦の始皇帝となる嬴政(えいせい)が生まれてから数年後の時期にあたります。
物語の主人公・信(しん)が、幼なじみの漂(ひょう)と「天下の大将軍」になることを誓い合うシーンから物語は動き出します。
この時期、中国はまだ「戦国の七雄」と呼ばれる7つの強国に分かれており、統一までにはまだ道のりがありました。キングダムは、この激動の時代を背景に、秦による中国統一への道のりを描いているのです。
ちなみに、キングダムの物語開始時点で、始皇帝による中国統一まであと24年ほどしかありません。2024年8月現在、72巻まで発売されていますが、まだ一国も統一できていません。300巻くらいまで続くのでしょうか?笑
おもしろいマンガが長く続いてくれるのはうれしいね!
戦国七雄とその勢力
キングダムを楽しむ上で欠かせないのが、「戦国の七雄」についての理解です。では、この七雄とは具体的にどの国々を指すのでしょうか?
戦国の七雄とは、秦(しん)、楚(そ)、燕(えん)、韓(かん)、魏(ぎ)、趙(ちょう)、斉(せい)の7か国を指します。これらの国々は、当時の中国で最も強大な力を持ち、互いに覇権を争っていました。
各国の特徴を簡単に紹介すると、以下のようになります
- 秦:最西端に位置し、軍事力に優れていました。キングダムの主人公たちの祖国です。
- 楚:南方の大国で、独自の文化を持っていました。
- 燕:北東に位置し、遊牧民族との交流がありました。
- 韓:中原(ちゅうげん)の小国ですが、鉄器の生産に長けていました。
- 魏:中央に位置し、かつては最強国でしたが、次第に衰退していきました。
- 趙:北方に位置し、騎馬戦に優れていました。李牧がいる国ですね。
- 斉:東方の海沿いに位置し、商業や海上交易が盛んでした。
これらの国々の勢力図は、時代とともに大きく変動しました。キングダムの物語が進むにつれ、秦の勢力が徐々に拡大していく様子が描かれています。
ただし、注意すべき点として、実際の歴史では各国の興亡はもっと複雑でした。キングダムは史実を基にしていますが、物語の都合上、簡略化されている部分もあります。
歴史に興味を持った方は、ぜひ実際の史料にも当たってみてください。そうすることで、キングダムの世界をより深く楽しむことができるでしょう。
(イメージ:青薔薇のしおりが画像作成)
秦の台頭と中国統一への道
キングダムの物語の中心となるのが、秦の国力拡大と中国統一への過程です。では、秦はどのようにして最終的な勝者となったのでしょうか?
秦が台頭した背景には、いくつかの要因があります。まず、地理的な利点が挙げられます。秦は西方に位置し、他の六国から攻撃を受けにくい場所にありました。また、肥沃な関中平原を有していたため、食糧生産に恵まれていました。
次に、改革の成功が挙げられます。紀元前356年、秦の孝公は商鞅(しょうおう)を登用し、大規模な改革(商鞅の変法)を行いました。この改革により、秦は中央集権的な国家体制を確立し、軍事力を大幅に強化しました。
さらに、秦は優秀な人材を積極的に登用しました。キングダムにも登場する宰相・呂不韋(りょふい)や、法家の思想家・李斯(りし)などがその例です。彼らの才能が、秦の国力増強に大きく貢献しました。
秦による中国統一の過程は、紀元前230年から始まります。最初に韓を滅ぼし、その後、趙、魏、楚、燕、斉の順に征服していきました。そして紀元前221年、ついに中国全土の統一を果たしたのです。
キングダムでは、この統一への道のりが、主人公・信たちの成長と共に描かれています。歴史上の出来事が、キャラクターたちのドラマと絡み合いながら展開していくところが、この作品の魅力の一つと言えるでしょう。
ただし、実際の歴史ではこの統一過程はもっと複雑で、多くの犠牲を伴うものでした。
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春秋戦国時代の思想と文化
春秋戦国時代は、政治的には混乱の時代でしたが、思想や文化の面では非常に豊かな時代でもありました。この時期に生まれた思想や文化は、後の中国文明の基礎となり、現代にも大きな影響を与えています。
この時代の特徴的な思想運動として「諸子百家」が挙げられます。これは、様々な思想家たちが自由に議論を交わし、独自の学説を展開した状況を指します。主な学派としては以下のようなものがあります:
- 儒家:孔子を始祖とし、道徳や礼儀を重視しました。
- 道家:老子や荘子に代表され、自然との調和を説きました。
- 法家:法律による統治を主張し、後の秦の政策に大きな影響を与えました。
- 墨家:兼愛(平等な愛)や非攻(戦争反対)を説きました。
- 陰陽家:自然界の陰陽の調和を説き、後の中国思想に大きな影響を与えました。
これらの思想は、キングダムの中でも時折言及されます。例えば、秦の政策に大きな影響を与えた法家の思想などが描かれています。
文化面では、青銅器や漆器の製作技術が発達し、書道や音楽も大きく進歩しました。また、この時代には「詩経」「楚辞」といった文学作品も生まれました。
さらに、科学技術の面でも大きな進歩がありました。例えば、鉄器の普及により農業生産が飛躍的に向上しました。また、軍事技術も発達し、騎馬や弩(強力な弓)などが登場しました。これらの技術革新は、キングダムの戦闘シーンにも反映されています。
(イメージ:青薔薇のしおりが画像作成)
キングダムはどこの国のいつの時代?結末は歴史上どうなった?
実際の秦の始皇帝は、暴君だという記録もあり、中国人から人気はないという話も聞きます。史実上のえい政の結末を追ってみましょう!
秦の始皇帝って史実ではどんな人物?
キングダムの物語の中心人物の一人である始皇帝(えい政)。彼は実在の人物で、中国史上初めて全土を統一した偉大な君主として知られています。歴史の教科書で必ず習う「秦の始皇帝」です。ここでは、始皇帝の生涯と彼が生きた時代背景について詳しく見ていきましょう。
(イメージ:青薔薇のしおりが画像作成)
秦の始皇帝の生涯と時代背景は?
始皇帝、本名を嬴政(えいせい)といい、紀元前259年に生まれました。彼が生まれた時代は、まさに戦国時代の真っ只中でした。当時の中国は「戦国の七雄」と呼ばれる7つの強国に分かれており、絶え間ない戦争が続いていました。
嬴政は13歳で秦王に即位し、紀元前221年に39歳で中国を統一します。そして、自らを「始皇帝」と号し、中国史上初の皇帝となりました。彼の治世は紀元前210年まで続き、享年50歳で亡くなりました。
始皇帝の生涯は、まさに激動の時代そのものでした。彼が生まれてから中国統一までの39年間は、政治的にも文化的にも大きな変革の時期でした。
例えば、この時期には鉄器の普及が進み、農業生産や軍事力が飛躍的に向上しました。また、貨幣経済の発達や、文字の統一なども進んでいきました。
キングダムでは、この激動の時代を背景に、嬴政の成長と中国統一への道のりが描かれています。ちなみに、信のモデルとなった李信将軍も実在の人物です。
ただし、注意すべき点として、キングダムはフィクションの要素も多分に含まれています。例えば、嬴政の幼少期についての詳細な記録は実際にはほとんど残っていません。
また、作中の嬴政は、国民を想うすばらしい若き王として描かれていますが、実際は、特に中華統一後は暴君だったらしく、不老不死を求めた結果、水銀中毒で亡くなっているという説もあります。
秦による中国統一の過程は?
始皇帝による中国統一は、キングダムの物語の核心部分です。では、実際の歴史ではどのように統一が進められたのでしょうか?
秦による統一戦争は、紀元前230年から始まりました。最初に攻略されたのは韓で、その後、趙、魏、楚、燕、斉の順に征服されていきました。この過程は、わずか9年間で完了しました。
統一の過程で、秦は様々な戦略を駆使しました。例えば、「遠交近攻」という策を用いて、遠くの国と同盟を結びつつ、近くの国を攻めるという方法を取りました。また、優秀な将軍や軍師を登用し、効率的な作戦を展開しました。
始皇帝の治世と主な政策とは?
(イメージ:青薔薇のしおりが画像作成)
中国を統一した後、始皇帝はどのような政策を行ったのでしょうか?彼の治世は、中国の歴史に大きな影響を与えました。
まず、始皇帝は中央集権体制を確立しました。全国を36の郡に分け、それぞれに官僚を派遣して直接統治しました。これにより、それまでの封建制度は廃止されました。
次に、度量衡の統一を行いました。通貨、文字(小篆)、車軸の幅なども統一され、これにより全国的な経済活動が活発化しました。
また、法家思想に基づく厳格な法治主義を採用しました。これは、身分に関係なく法の下で平等に裁かれるという画期的な制度でした。
さらに、巨大なインフラ整備も行いました。最も有名なのは万里の長城ですが、それ以外にも道路網の整備や、全長2000キロメートルに及ぶ霊渠(れいきょ)の建設なども行いました。
これらの政策により、中国は統一国家としての基盤を固めていきました。
ただし、始皇帝の政策には負の側面もありました。例えば、重税による民衆の苦しみや、思想統制なども行われました。
万里の長城建設と焚書坑儒
始皇帝の治世を象徴する二大事業として、万里の長城の建設と焚書坑儒が挙げられます。
万里の長城は、北方の遊牧民族の侵入を防ぐために建設されました。実際には、それ以前からあった各国の城壁を繋ぎ合わせ、補強したものです。
総延長は約2万キロメートルに及び、その建設には莫大な人力と資源が投入されました。
一方、焚書坑儒は思想統制政策の一つでした。「焚書」は儒教など国家が認めない思想の書物を焼却すること、「坑儒」は儒学者を生き埋めにしたという伝説に由来します。
実際には、実用的な書物(医学、農業、占いなど)は焼却を免れ、儒学者の大量処刑も行われなかったとされています。
これらの政策は、国家の統一と安定を目指したものでしたが、民衆に大きな負担を強いるものでもありました。ただし、これらの事業の詳細については、現在でも歴史学者の間で議論が続いています。
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始皇帝の死と秦王朝の終焉
始皇帝は紀元前210年、50歳で死去しました。彼の死後、秦王朝はわずか3年で滅亡してしまいます。始皇帝の死因については諸説あります。
公式には病死とされていますが、水銀中毒説や暗殺説なども唱えられています。彼の死後、宦官の趙高や丞相の李斯らが権力を握り、二世皇帝(始皇帝の息子)を操り始めました。
しかし、重税と苛酷な労役に耐えかねた民衆の反乱が各地で勃発し、わずか3年で秦王朝は滅亡しました。その後、楚の項羽と漢の劉邦による楚漢戦争を経て、最終的に前漢王朝が成立します。
キングダムでは、どこまで物語が続くのでしょうか?ここまで描かずに、中華統一をして完結となるかもしれませんね。
始皇帝をめぐる歴史的謎
始皇帝の生涯には、現在でも多くの謎が残されています。
一つ目の謎は、始皇帝の出自です。彼が本当に秦の王族の血を引いているのか、それとも呂不韋の子なのかという議論が古くからあります。キングダムでも、この問題が物語の重要な要素として描かれています。
二つ目は、始皇帝陵の内部です。現在でも発掘されていない始皇帝の墓には、伝説的な地下宮殿や、水銀で作られた河川などがあるとされています。また、墓を守る兵馬俑の存在も、始皇帝の権力と野心を物語っています。
三つ目は、始皇帝の性格です。彼は冷酷な暴君だったのか、それとも先見の明のある改革者だったのか、評価が分かれています。キングダムでは、始皇帝の人間的な面も描かれており、読者に新たな視点を提供しています。
これらの謎は、歴史学者たちによって今も研究が続けられています。キングダムを読みながら、これらの謎について自分なりに考えてみるのも面白いでしょう。
三国志の時代はキングダムの何年後?
(イメージ:青薔薇のしおりが画像作成)
キングダムの物語の後、中国史では三国志の時代が訪れます。この二つの時代の関係について、時系列を追って見ていきましょう。
キングダムの主な舞台である秦の統一は紀元前221年に達成されました。その後、秦は紀元前206年に滅亡し、前漢、後漢と続きます。そして、後漢の衰退期を経て、184年の黄巾の乱を契機に三国時代への移行が始まります。
つまり、キングダムの物語のクライマックスである秦の統一から、三国志の物語が本格的に始まるまでには、約400年もの時間が経過しているのです。この間、中国では様々な変化が起こりました。
例えば、前漢時代には、シルクロードを通じた西域との交易が盛んになりました。また、後漢時代には、儒教が国教化され、科挙制度の原型が作られました。
三国志の時代になると、軍閥が割拠する群雄割拠の時代となり、キングダムの時代とはまた異なる政治状況が生まれました。しかし、中央集権的な統一国家を目指すという点では、キングダムの時代と共通しています。
キングダムと三国志は、どちらも中国の古代史を舞台にした人気作品です。二つの作品を比較しながら読むことで、中国の歴史の流れをより深く理解することができるでしょう。
「キングダムの舞台はいつの時代?」についてのまとめ
- キングダムの舞台は春秋戦国時代の末期(紀元前245年頃~)である
- 春秋戦国時代は紀元前770年から紀元前221年まで続いた
- 物語開始時、中国は「戦国の七雄」と呼ばれる7つの強国に分かれていた
- 始皇帝(嬴政)は紀元前259年生まれ、紀元前221年に中国を統一した
- 秦による統一戦争は紀元前230年から始まり、9年間で完了した
- 始皇帝の治世では中央集権体制の確立や度量衡の統一が行われた
- 万里の長城の建設や焚書坑儒は始皇帝の代表的な政策である
- 始皇帝の死後、秦王朝はわずか3年で滅亡した
以上で、キングダムの時代背景と始皇帝に関する詳細な解説を終わります。この記事を通じて、キングダムの世界をより深く楽しむための知識を得ていただけたなら幸いです。
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